私は仕事が終わるときは、必ずそのとき働いているパートナーのみんなに挨拶して帰る。お客さんが多くても、しばらくして、はけて行くのを待ってから「じゃ、失礼します」と一人ひとりに言うことにしている。先輩後輩関係なく、皆に同じように挨拶して帰る。
ある社会では当たり前のことだと思う。決して自分が特別なことをしているとは思わない。しかし、やっぱり居るのだ。
何も言わずにしれっと帰って行く人が。
きっと、忙しい仕事の邪魔をしたくないからという理由と、完全タイムテーブル制だから、先に帰ろうが後に帰ろうが他人に迷惑をかけないのだ。決められた時間が個別にあるのだ。そう、スタバで働くということにおいて先に帰ることは失礼でもなんでもない。先に帰る人は大抵、先に来ているし、そうでなくともその日の決められた契約上の仕事量は時間量で決められているから、今日は楽だったとかからもっとやれとか言われることはまずない。
それでも、まぁそこは私のポリシーとして、「今」働いている人をねぎらって、「今日もありがとうございました」と思いつつ、「お先に。」と伝えてもいいじゃないか。黙って出て行き、いつの間にか居ないというのも感じ悪いじゃないか。他の人はそう思わなくても私はそう思うから、とにかく私は必ず全員に挨拶してから帰ることにしている。
さて、今日は土曜日。春休みにも入り、夜遅くなってもお客さんは多い。
いつものように一言言って帰ろうと、レジ付近に立ってみた。
一番最初に私に気付いたのは店長だった。わずか3秒で気付いた。
遠かったし、接客中だったから、アイコンタクトと軽く会釈して挨拶した。
もう一人の人も割とすぐ気付いた。彼女はレジでちょうどお客さんがはけたところだったので、「さようなら」と挨拶を交わした。5,6秒だったかな。
しかし。新しく入った新人パートナーさんは気付かない。ずっと気付かない。1分待っても気付かない。そのときちょうど、ドリンクが5,6点どかっと一気にきていたのと、お客さんがたくさん待っていたから、急がなくてはならなかった。
しかし、その中で店長は3秒で気付いた。新人パートナーさんは気付かない。
待てども待てども気付かず時は流れる・・・。店長は「サヨナラと言ったのに、あんたそこで何やってんの?」というような目で見ていた。
お客さんが居なくなってもまだ気付かない。だめだ。私はエスプレッソマシンの前に立った。そこでようやく気付いてもらえた。
「では、さようなら。」「あぁ、さようなら。」
「仕事ができる」ということを具体的な項目で点数をつけることはある程度できる。英検なんかと同じ要領だ。「同じ」というのは、「その検定が本質的な評価になっているのか」という意味も含んでいる。そしてその意味するところ、「観点別で数値化する評価は能力の本質を見ていない」ということだ。つまり、
どんなに上手くカフェラテができても、どんなにおいしいフラペチーノができても、その内容は限られた能力を評価しているに過ぎず、本質的な「仕事ができる能力」というのは、例えば今回のように「仕事の流れの中で視野を広く持つ」ということなどに言えるのだ。そういえば、店長のみならず、スタバに入って長い人は、例えミルクをスチーム中でも、お客さんにお釣りを渡しているときでも、私が視線を送れば必ず気付いてアイコンタクトを返してくれるのだ。考えてみればすごいことだ。
絶叫マシンに乗りながら、地上にいる子どもがアイスを地面に落とす瞬間を発見するのと似たようなもんだ。大げさではない。お客さんがガンガン来るときはジェットコースターに乗っているときのように本当に目が回るから。(それは私がまだまだだって証拠なんだけれども)
それは言い換えると「余裕」である。私も含めて、昨日今日入ったような新人が店長と同じ視野の広さを持てるわけが無いのだし、まだまだ慣れていない今、比較すること自体ナンセンスなことだと思う。
しかし、普段から漠然と「彼はすごい」だとか「彼女はサスガだ」とか漠然な言い回しでしか評価できなかったり、「仕事が速い」とか「しっかりしている」といったこれまた一般的な解釈で相手を捉える事が多い中で、自分を対象物とした視野の広さを実感したとき、改めて店長をはじめ、所謂ベテランといわれる人たちのすごさを実感したのであった。